「ついていけない」が「負けたくない」に変わった。

伊藤 真彦
職長

1|高校時代から始まっていた、社長との縁

同じクラスにいた、近寄りがたい存在

秀樹さんと初めて出会ったのは、高校1年生のときです。同じクラスでしたが、当時の秀樹さんには独特のオーラがあって、本当に話しかけづらい存在でした。
自分はどちらかというと優等生タイプ。秀樹さんはやんちゃな印象だったので、高校時代はそれほど近い関係ではありませんでした。
まさかその後、一緒に足場の仕事をすることになるとは思っていませんでした。高校時代からの縁が、何年もたって自分の人生を大きく変えることになりました。

2|社長のひと言から、足場職人の道へ

やった分だけ評価される仕事に惹かれて

高校卒業後は、大工として働いていました。しかし、当時はなかなか収入が上がらず、これからどうしようかと考えていた時期がありました。
そんな24歳のとき、秀樹さんから「一緒にやらないか」と声をかけてもらったことが、足場の世界に入ったきっかけです。
仕事をした分だけ自分に返ってくる。頑張りが評価につながることに魅力を感じ、転職を決めました。
最初は分からないことばかりでしたが、秀樹さんや竜也君の仕事を見ながら、少しずつ足場職人としての技術を身につけていきました。

3|「あっちへ行っとれ」が、原動力になった

ついていけなかった、最初の夏

仕事を始めて最初の夏は、今でもよく覚えています。
夏の足場は、想像以上に過酷です。鉄製の資材は太陽の熱で熱くなり、地面からも熱気が上がってくる。上下から暑さに挟まれ、逃げ場がないように感じます。
当時の自分は、秀樹さんと竜也君のペースについていけませんでした。秀樹さんから「あっちへ行っとれ」と言われたときは、本当に悔しかったです。
でも、その悔しさが「いつか追いつきたい」という原動力になりました。できないままで終わりたくない。その気持ちがあったから、厳しい時期も仕事を続けることができたのだと思います。

4|経験を、次の世代の安全と成長につなげる

自分たちの時代と同じやり方ではいけない

一度、午前中の作業で力を使い切り、熱中症で倒れたことがあります。当時は根性で乗り越えようとしていましたが、今振り返れば非常に危険な状態でした。
自分たちが若かった頃と同じことを、今の若い職人に求めることはできません。無理をさせるのではなく、体調や作業の進み方を見ながら、安全に働けるように支えることが大切です。
足場の仕事を始めて、約19〜20年。長く続けてきた今でも、技術では秀樹さんにかなわないと思うところがあります。
だからこそ、まだ学ぶことがある。これまで教わった技術と、自分自身が経験してきた厳しさの両方を、これからは次の世代へ伝えていきたいと思っています。